人気ブログランキング | 話題のタグを見る
或る少女の死まで
そんなことをしている場合ではないのだが、室生犀星「或る少女の死まで」読了。「杏っ子」と一緒に、ずいぶん前に買ったので、すでに黄ばんで古本のように見える。彼の詩はくりかえし読んでいるが、小説はどうだろうと思い、なかなか手をつけられずにいた。

自伝的小説なので、好きな人の昔のアルバムを見るような、たわいもないうれしさがある。あの詩を書いたのは、この頃のことだろうか、、、なんてね。小説を読んで、自分が犀星の詩に引かれる理由が分かった。程度の差はあれ、感受性の方向性が似ているのだろう。そのような、近しいものを感じる。

しかし、若い頃の心のふるえをよく覚え、またよく文字に表せるものだと思う。それが詩人だ、といってしまえばそれまでだが。

あとがきで、初期に書いたこれらの連作を、「他愛のない無邪気なもの」「小学生の作文」と呼び、「多くの悔いばかりが残る」と書いているのがおもしろい。

ふと、徳富蘆花の「不如帰」を思い出した。あれの前書きもそんな感じ。「お坊ちゃん小説」「蛇足やら、あらをいったらきりがない」という作者のつぶやきと、「ああつらい!つらい!もう--もう婦人(おんな)なんぞに--生まれはしませんよ。--ああ!」という浪子の絶叫だけを覚えている。自分と似た名を持つ主人公が酷い目にあうので、フクザツな気分だったな、あの話は。

今日は猫写真のいいのがなくてね。これでおいとまいたします。
by bou2cat | 2005-04-22 13:40 |
<< ギャランドゥ 妖怪「なんかさー」 >>